労働災害で最も大きな影響を受けるのは、もちろん被災した従業員とその家族です。しかし、労災の影響はそこで終わりません。作業の中断、人員不足、取引先への対応、原因調査や再発防止、場合によっては法的責任や信用の低下など、事業全体に広がる可能性があります。
厚生労働省によると、2025年の労働災害による死亡者数は700人、休業4日以上の死傷者数は13万5,333人でした。死亡者数は過去最少となった一方、休業4日以上の死傷者数は、なお年間13万人を超えています(いずれも新型コロナウイルス感染症へのり患によるものを除く)。
労災は、特別に危険な業種だけの問題ではありません。転倒、腰痛、切れ・こすれ、交通事故、熱中症、過重労働による健康障害など、さまざまな職場で起こり得ます。本稿では、労災が事業に与える影響と、中小企業が安全衛生に取り組む意味を考えます。
労災は安全衛生上の問題であると同時に経営課題
「労災は現場の担当者個人が注意すれば防げるもの」と考えていないでしょうか。
労災の背景には、本人の行動だけでなく、設備の状態、作業手順、人員配置、教育、作業時間、職場環境、管理体制など、複数の要因が関係していることがあります。そのため、個人の注意だけに頼る対策には限界があります。
また、使用者には、労働契約法第5条により、従業員が生命や身体などの安全を確保しながら働けるよう、必要な配慮をすることが求められています。安全衛生は、現場任せにするものではなく、経営者と管理者が組織として取り組むべき課題です。
労災が事業に与える5つの影響
① 被災した従業員と家族への影響
けがや病気の程度によっては、治療やリハビリが長期に及び、元の仕事に戻れないこともあります。従業員本人の生活だけでなく、家族の生活や将来にも大きな影響を与えかねません。
まず考えるべきなのは、人の命と健康を守ることです。これは安全衛生に取り組む出発点です。
② 操業やサービス提供への影響
労災が発生すると、救護、現場確認、関係者への聞き取り、行政への報告、原因調査、再発防止などの対応が必要になります。状況によっては、作業や設備の使用を一時的に止めなければならないこともあります。
納期の遅れ、受注機会の喪失、顧客対応の増加など、本来の事業活動に影響が及ぶ可能性もあります。
③ 人員配置と職場の負担への影響
被災した従業員が休業すれば、他の従業員が業務を引き継ぐことになります。代替要員をすぐに確保できなければ、残業の増加、休日出勤、教育負担の増加につながることもあります。
その負担を放置すると、疲労や焦りから別の労災が起こるという悪循環も考えられます。労災発生後こそ、残された従業員の業務量と健康状態にも目を向ける必要があります。
④ 費用と法的責任への影響
会社には、治療費等の保険給付とは別に、代替人員の確保、時間外労働、設備の修理、原因調査、再教育、納期対応など、さまざまな費用が生じる可能性があります。
また、労働安全衛生法違反があれば刑事責任が問われることがあり、安全配慮義務違反や不法行為などが認められれば、民事上の損害賠償責任が問題になる場合もあります。危険が切迫している場合などには、設備の使用停止や作業停止等の行政上の措置につながる可能性もあります。
ただし、労災が発生しただけで、直ちに会社の刑事責任や民事責任が認められるわけではありません。法令違反の有無、危険を予見できたか、必要な対策を講じていたかなど、個別の事情により判断されます。
⑤ 社内外の信用への影響
重大な労災や同じ労災の繰り返しは、従業員の会社に対する安心感を損なうことがあります。「危険を伝えても改善されない」「人より納期が優先される」と受け止められれば、士気の低下や離職につながりかねません。
取引先や求職者から見ても、安全に働ける会社かどうかは重要です。安全衛生への姿勢は、採用、定着、取引上の信頼にも関係する経営基盤の一つです。
労災保険だけでは会社の損失を全てカバーできない
労災保険は、被災した従業員や遺族の治療と生活を支える大切な制度です。しかし、会社に生じる損失まで全て補う制度ではありません。
たとえば、業務災害で従業員が休業する場合、労災保険の休業補償給付が支給されない最初の3日間については、原則として会社が平均賃金の60%を休業補償として支払う必要があります。
また、生産や営業の停止による損失、代替要員の採用・教育費、設備の修理費、取引先への対応費用などは、通常、労災保険の給付対象ではありません。
さらに、安全配慮義務違反などにより民事上の責任が認められた場合、労災保険給付では補われない慰謝料等が損害賠償の対象となることがあります。
労災保険は、労災が起きても会社が困らないための保険ではなく、被災した従業員等を守るための社会保険です。加入しているから予防しなくてよい、ということにはなりません。
中小企業こそ事前の備えが重要
中小企業では、一人の従業員が複数の役割を担い、特定の人に技術や顧客対応が集中していることも少なくありません。そのため、一人が長期間休業しただけでも、業務全体への影響が大きくなりやすいといえます。
一方で、「専任の担当者がいない」「何から始めればよいか分からない」「安全対策には費用がかかる」と、後回しになりがちです。
しかし、安全衛生対策は、高額な設備を導入することだけではありません。通路に物を置かない、重い物を一人で持たせない、機械を止めてから清掃する、暑さや体調不良をすぐ報告できるようにするなど、日々の仕事の進め方を見直すことも重要な対策です。
大切なのは、事故が起きてから慌てるのではなく、職場にある危険を事前に見つけ、できることから優先順位をつけて改善することです。
今日から始めたい安全衛生の取り組み
まずは、次のような取り組みから始めてみましょう。
- 安全衛生を担当する人と、経営者へ報告する流れを決める
- 経営者や管理者が現場を歩き、従業員から危険な作業を聞く
- ヒヤリハットや小さなけがを、責任追及ではなく改善の材料として共有する
- 新しい設備・作業・化学物質を導入するときは、事前に危険を確認する
- 労災が起きたときの救護、連絡、報告、原因分析の手順を決めておく
- 対策後も、現場で実際に守れる方法になっているかを確認する
こうした取り組みを整理して行う方法が、リスクアセスメントです。職場の危険性や有害性を洗い出し、災害の重さと発生可能性からリスクを見積もり、優先順位をつけて低減措置を講じ、その結果を記録します。
「気をつけよう」と呼びかけるだけではなく、危険な作業そのものをなくせないか、より安全な方法に変更できないか、設備で防げないかという順番で検討することが重要です。
元消防士として人命に関わる現場を経験してきた立場からも、安全は、事故が起きた後の対応だけで守れるものではないと感じています。危険を事前に見つけ、現場の声を聞き、仕組みとして改善を重ねることが必要です。
安全衛生への取り組みは、単なるコストではありません。従業員が安心して働き、事業を安定して継続するための土台です。
まずは一度、経営者と現場の従業員が一緒に職場を見渡し、「この作業で、けがや健康障害につながることはないか」を話し合うところから始めてみてはいかがでしょうか。
セーフコア社会保険労務士事務所では、福岡県内の中小企業を中心に、安全衛生体制の整備、職場のリスクの確認、労災発生時の初動や再発防止について支援しています。


